沿革

明治 1868-1912

明治40(1907)年
「京都私立子守学校」が発足

1907-005
子守学校の授業風景


明治41(1908)年
「京都私立慈光夜学校」が発足
※家庭の事情で昼間小学校へ通学できない徒弟・女中などを夜間に集め教育した

明治42(1909)年
免囚保護・再犯防止を目的とした「淬励会さいれいかい」を創立
※現在の保護司のような仕事で、家庭訪問・講話会・身上相談などを行った

明治44(1911)年
「社団法人明徳学園」を組織

大正 1912-1926

大正5(1916)年
子守学校・慈光夜学校を廃し、明徳学園教育部と改め本圀寺において「裁縫学校(塾)」を開設

大正7(1918)年
本圀寺が日曜学校「光山こうざんコドモ会」を設置

大正10(1921)年
宗祖日蓮聖人生誕七百年を記念し、社団法人明徳学園と大本山本圀寺とにより「明徳女学校(本科4年・裁縫科3年・専攻科1年)」を開校(猪熊通五条上ル)
※10月23日(校舎落成開校披露式)を学園創立記念日に制定

1921-022
本圀寺仮教室における本科1年生


大正13(1924)年
「明徳高等女学校」の設立認可(昇格)。裁縫科は「明徳裁縫女学校」となる

1924-034
校門には高女・裁女の両校名が掲げられた

昭和 1926-1989

昭和3(1928)年

明徳裁縫女学校に別科を設置/「光山コドモ会」を「光山幼稚園」と改め本圀寺から明徳学園に経営を移す

 

1927A
第1回秋の卒業旅行・別府港にて(昭和2年)

1929A
手回しミシンでの裁縫学習(昭和4年)


昭和8(1933)年

明徳高等女学校に補習科を設置
※卒業生対象。修業年限1年

 

1928-061
全校生徒が雨天体操場(体育館)に集まって朝の体操(昭和6年)

1928-061
謝恩会・卒業生25名(昭和6年)


昭和16(1941)年
明徳高等女学校の修業年限を4年制から5年制に改定

1941-067
増築の新校舎(昭和15年)


昭和22(1947)年
明徳裁縫女学校を廃止
「明徳女子中学校」を開校

昭和23(1948)年
社団法人から「財団法人」に組織変更
「明徳女子高等学校」を開校

昭和24(1949)年
明徳高等女学校を廃止

昭和25(1950)年
「明徳洋裁学院」を開設
「明徳夜間高等学校(商業科・宗教科)」を設置

1950-114
夜間部(定時制)の学習風景


昭和26(1951)年

財団法人から「学校法人」に組織変更認可
「明徳幼稚園」を開設

1951A

1959A

1951-118
鯉のぼりを楽しむ園児(昭和27年)


昭和27(1952)年
明徳女子高等学校を「明徳女子商業高等学校」に改称

昭和29(1954)年
明徳女子商業高等学校を「明徳商業高等学校 全日制/商業科(女子)」に改め、明徳夜間高等学校は「明徳商業高等学校 定時制/商業科・宗教科(男女)」に
夜間タイプ教室を開設
※優秀なるタイピストを育成する目的で一般にも公開され、英文・和文タイプを中心に夜間1時間、毎日開かれた

1954-136
一般にも公開された夜間タイプ教室


昭和31(1956)年
明徳女子中学校を廃止

1956A
洋裁学院の作品発表会(昭和31年)


1956C-170
明徳デパート誕生(昭和32年)

商業実習の場として実施された学校行事(学園祭)で、用度・接客・販売・出納・記帳・装飾・広告・商品受払・労務管理などすべてが生徒たちの手によるものであった。また、行事終了後には損益計算書が作成され、昭和33年には2日間で総売上高115万円、純利益25万円。さらに36年には実に55万円の純利益を上げるほどの本格的なものであった。

1958-187
体育館での演劇祭(昭和33年)

1961-149-1
合唱コンクール(昭和36年)

1956A-149B
弁論大会(昭和37年)

1959B
全校珠算競技大会・当時は青空大会(昭和34年)

商業の専門科目として授業で培ってきた計算能力を競い合う一大行事。明徳商業高校では、商業技能の中でも、もっとも中心である珠算に重点をおき、毎週火・金の午後授業開始から約10分間、全校生徒一斉にソロバンの練習を行い、採点後に上位20人を発表する手法で珠算技能の習熟に励んだ。この学習方法は新聞でも取り上げられるほどユニークなものであり、「珠算の明徳」をつくりあげた原点ともいえる。


昭和39(1964)年
明徳洋裁学院・明徳幼稚園を廃止

1964-181
明徳会館完成(昭和38年)


昭和40(1965)年
生徒数が最高潮の3,300人に達する

1964C-235
珠算・全商大会初優勝(昭和42年)

1964E-244
珠算・国民珠算大会初優勝(昭和44年)

「そろばんの明徳」

昭和42年を皮切りに、全国高等学校珠算競技大会で15回、国民珠算競技大会で20回の全国制覇という金字塔を打ち立て、全国で「珠算(そろばん)の明徳」と言わしめた。また、個人でも「そろばん日本一」、「そろばん世界一」のタイトルも幾度となく獲得し、明徳の名を日本全国にとどまらず世界に知らしめた。

1964F-230
卓球・連続6年の全国出場(昭和45年)

「お家芸の卓球」

昭和8年から15年まで8年間、京都代表として全日本選手権大会に出場し、昭和12年から4年連続で全国制覇を達成。また翌16年には全国学校対抗卓球大会にて優勝し東郷優勝旗を持ち帰り、「卓球明徳」の黄金時代を築き上げた。戦後も幾度となくインターハイや全国高校選抜大会への出場を成し遂げている。

1964B-227
ソフトボール・延長32回までもつれた大分国体の入場式(昭和41年)

1964B-232
ソフトボール・アジア大会優勝(昭和42年)

「伝統のソフトボール」

昭和37年の全日本高校女子ソフトボール選手権大会・国民体育大会への出場を果たし、昭和42年にアジア女子ソフトボール選手権大会で優勝。また昭和51年には全日本高校女子ソフトボール選手権大会(インターハイ)で初の全国優勝を獲得するなど、数々の偉業を打ち立てている。


昭和48(1973)年
明徳商業高等学校の定時制を廃止

1973-70th-075

0000-60th-g01
猪熊学舎正面


昭和54(1979)年
学校法人経営を担う部門として明徳学園本部を設置

1979-291
沖縄へ初めて航空機での修学旅行(昭和54年)


1979D-311
図書館風景(猪熊学舎)

昭和54年、関西地区優良学校図書館として、全国学校図書館協議会のメンバー総勢72名が見学に訪れた。

1979A-000

1979C-000

1979E-323-3
明徳総合グラウンド(中山グラウンド)
〜現・京都明徳高等学校校地〜

1979F-323-2
沓掛グラウンド、最後の体育祭(昭和60年)
〜現・京都成章高等学校校地〜

1979G-344-1
地鎮祭


昭和61(1986)年
「京都成章高等学校(普通科・男子)」開校

平成 1989-2019

平成4(1992)年
明徳商業高等学校 洛西の新校舎へ全面移転

平成5(1993)年
「京都経済短期大学(経営情報学科)」開学

平成9(1997)年
明徳商業高等学校を「京都明徳高等学校」に校名変更 「普通科」を併置

平成12(2000)年
京都明徳高等学校 男女共学

平成15(2003)年
京都成章高等学校 男女共学

平成26(2014)年
京都成章高等学校 通信制課程を設置

令和 2020-

令和3(2021)年
明徳学園創立100周年(10月23日)